脈々と受け継がれる伝承の技法
するがや祇園下里
名門・駿河屋の流れを汲む祇園の菓子司
総本家駿河屋より暖簾分けを得た初代・下里治助が、文政元年(1818)、祇園の現在地に「祇園駿河屋」という屋号で創業。以後、駿河屋の一門として、本家から伝授された「煉羊羹」や生菓子を主として商い、八坂神社の参詣者や地域の人々から、着実に支持を集めることとなる。
明治に入り、三代目当主は、八坂神社境内の茶店で売られていた「かんかん糖」にヒントを得て、代表銘菓の「祇園豆平糖」を考案。かんかん糖とは、黒い飴の中に豆が入ったものだが、三代目は、さらに上品な形、後味の良い飴に仕上げるべく、製法や材料に工夫を重ねたという。同じころ、三代目は「するがや祇園下里」という現在の名称に屋号を変更した。また、「豆平糖」と書かれた屋根看板を掲げたのもこの時期である。
豆平糖のつくり方は、まず、丹波産の上質の大豆を焙烙で丹念に炒り、熱した秘伝の蜜に混ぜ合わせる。次に、少し冷ましてから、胡麻油を塗った茣蓙の上で棒状に細長く伸ばし、一定の寸法に切ってできあがり。最も技法を要するのは熱の加え方で、煮詰めすぎると苦味が出て、足らないと甘ったるくなるとのこと。祇園豆平糖の、香ばしく上品な甘みは、絶妙のタイミングを見計らう職人の勘によって醸し出されるのである。
昔ながらの美味しさを伝える職人の技
創業以来、私どもは手づくりの製法を守り、昔のままの変わらない美味しさを維持しています。味を守っていくためには、何よりも確かな技術が不可欠となりますが、当店の歴代の職人は、伝統の製法を脈々と受け継いでまいりました。豆平糖をつくるときなど、蜜の煮詰め具合で味が大きく左右されますが、季節や天候で微妙に作業の条件が変化するため、熟練の職人でなければ、一定の品質を保つことはできません。単純な菓子だからこそ、それをつくるためにはデリケートな技術が必要とされるのです。
当店では、この他に、生姜入りの黒砂糖の飴を煎餅で巻いた「大つ丶」など、飴を応用した菓子を主流としております。近年は、菓子に限らず、素材・原料の質的な変化が、大きな問題になることがありますが、当店が最も多く使う砂糖類に関しては、品質の変化が少なく、この点で私どもは恵まれているといえるかもしれません。これからも、当店ならではの素朴な飴菓子を、つくり続けていきたいと思っています。
店の建物は、百年ほど前に建てられたものですが、古い建物だけに頻繁に修理しなければならず、維持するのは確かにたいへんだといえます。しかし、こうした祇園の風情、京都らしい風景を残していくのも、菓子づくりとともに私どもの仕事の一部と考え、これからも保存に努めていきたいと思います。
店舗情報
創業 | 文政元年(1818年) |
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商号 | するがや祇園下里 |
所在地 | 京都市東山区祇園末吉町80番地 |
電話 | 075-561-1960 |
FAX | 075-561-4860 |
営業時間 | 11:00~18:00 |
定休日 | 水曜日 |