歴史の荒波を乗り越え、次代に伝統を伝える
亀屋良永
強制疎開の危機を乗り越えて伝統を復活
本能寺の門前、寺町通と御池通が交わる角地に亀屋良永はある。創業は天保三年(1832)。当初は「大文字屋庄三郎」という屋号だったが、万延元年(1860)に「亀屋」へと改称した。創業の地は柳馬場通御池を南に下がったところで、間もなく堺町通御池に移転し、長くこの地で商っていた。
昭和に入り、同店は歴史の荒波に翻弄されることとなる。第二次大戦末期の昭和二十年、御池通を拡張して防火帯をつくることになった。このとき亀屋良永は、店舗を強制撤去されたうえに疎開を余儀なくされ、やむなく休業に追い込まれたのである。筆舌に尽くせぬ苦労を強いられたのち、昭和二十七年に、ようやく現在地で菓子づくりを再開したが、すべてが一からのスタートだったという。代表銘菓の「御池煎餅」は、明治末ごろから同店でつくられていた煎餅を、戦後の再興に尽力した先代当主が改良したもの。麸焼きのように仕立てた糯米粉の煎餅に、亀甲型の焦げ目をつけ、溜まり醤油を隠し味にした砂糖を刷毛でひいている。サクサクと口の中でほどける淡白な食感でありながら、醤油の風味がほどよく効いていて、茶菓子としても好まれる逸品である。
「もう一度食べたい」と思われる菓子づくりを目指す
戦後の復興期が、当店の歴史の中で最もたいへんな時期だったといえるでしょう。実質的には、新しく創業したのと同じくらい、先代の父は努力していたと思います。そのおかげで、当店は伝統を絶やすことなく、さらに進歩したかたちで今日まで歩んでこられたものと考えております。私自身もまた、先代から当店を受け継ぎ、次の代に渡すまでのリレーランナーとして、手を緩めることなく努力し、責任を果たしていくつもりです。
菓子づくりにおいて、原材料を吟味したり、より良い製法を求めて研究を重ねていくのは当然のことだと思います。そのうえで、当店としては、お客様に「もう一度食べたい」と思っていただけるような菓子をつくっていきたいと願っております。ただ物が売れることよりも、同じお客様が再び買いにきてくださることのほうが、菓子屋としての喜びは大きいのではないでしょうか。
京都という街が、観光都市としてブームを呼んだのは戦後のこと。遠い歴史を振り替えるようになったのも、豊かな時代を迎えてからのことです。これからの京都ということを考えた場合、やはり、古い京都と新しい京都を区別し、良いかたちで京都の文化を残していってほしいと思っています。
店舗情報
創業 | 天保三年(1832年) |
---|---|
商号 | 株式会社亀屋良永 |
所在地 | 京都市中京区寺町通御池下ル |
電話 | 075-231-7850 |
FAX | 075-251-0066 |
営業時間 | 午前8時~午後6時 |
定休日 | 日曜日、第一、三水曜日 |