500年の伝統に育まれた逸品「道喜粽」
川端道喜
宮中に「お朝物」を献上し続けた老舗
京都市街南部・鳥羽出身の武士だった渡辺進は、文亀三年(1503)、武士をやめて餅屋になった。後に、同じく鳥羽出身の中村五郎左衛門は、渡辺進の娘婿となり、家業を引き継ぐこととなる。餅屋を継承したあと、五郎左衛門は渡辺彌七郎と名乗って商いを発展させ、元亀三年(1572)に剃髪入道してからは、居士名の「道喜」を名乗るようになった。これが、世襲名「川端道喜」の起源である。初代・道喜(五郎左衛門)は、国学や和歌に秀でた人物で、武野紹鴎から茶道を学んだとも伝えられている。
渡辺進と初代・道喜の時代は、室町後期のいわゆる戦国時代にあたり、幕府の疲弊とともに朝廷の財政も逼迫していた。進と道喜親子はそうした状況を慮って、歳事や祝事の注文とは別に毎日色々な品を献上するようになり、やがては塩餡を包んだ餅を毎朝献上するのが習わしとして定着した。その餅は「お朝物」と呼ばれ、後に「朝餉」の儀として形式化し、明治天皇が東京に移るまで続いたのである。京都御所には、建礼門の東横に「道喜門」という名の専用門が今も残っている。
こうした伝統を持つ川端道喜の名物は、言わずと知れた「道喜粽」である。吉野葛の持ち味が生かされた「水仙粽」と、こし餡を練り込んだ「羊羹粽」の二種類があり、上品でしっとりとした風味に仕上がっている。粽以外では、裏千家の大茶会で使われる上生菓子なども手掛けており、現在も、折に触れ皇室からの注文を受ける名店である。
風流人・初代道喜の魂を伝える菓子司として
当店には、室町時代後期から現代まで約五百年にわたって記録された古文書類が保存されています。度重なる大火や戦火を免れて現存するたいへん貴重な史料であり『川端家文書(道喜文書)百余点』として、京都市から有形文化財に指定されております。これには、川端道喜代々の御所御用の克明な記録や御注文控、製法書、各時代の文化人との交流を物語る文書などが含まれています。
記録によると、初代・道喜は、二代目に仕事を譲った後、同じ紹鴎門下で茶道を学び、天下一の茶匠に大成していた千利休や、大名の古田織部との親交を深めるなど、風流人として晩年を過ごしたようです。当然そうした方々へも道喜の菓子は贈られていましたから、お付き合いを通して、当店の味は高度に磨き抜かれてきたといってもよいでしょう。
私どもは、このような歴史を経て確立された、手間ひまのかかる製法を守り続けていますので、粽ひとつをとっても大量に生産することはできず、値段も決してお安いものではありません。しかし、皇室や茶道の大家からも認めていただいた菓子の味を後世に伝えていくことは、当店の使命であると考えております。
店舗情報
創業 | 文亀三年(1503年) |
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商号 | 御ちまき司川端道喜 |
所在地 | 京都市左京区下鴨南野々神町 |
電話 | 075-781-8117 |
FAX | 075-751-8127 |
営業時間 | 午前9時半~午後5時半 |
定休日 | 水曜日 |
予約 | 要予約 |