寺院との交流によって発展してきた名店
本家玉壽軒
西陣の家並みの風情を守り続ける老舗
慶応元年(1865)、井筒屋嘉兵衛という屋号で西陣織の織屋を営むかたわら、菓子を商い始めたのが始まり。明治に入ると、屋号を玉壽軒と改め、菓子づくりを専業とした。もとは千本今出川を上がったところで商っていたが、大正五年に現在地に移転。建物自体は明治初年ごろに建てられた風格ある町屋で、マンションなどが増加した西陣界隈において、今も京都らしい風情を維持している。
代表銘菓は、紫野大徳寺の地名を取って名付けられた「紫野」で、大徳寺門前の一久がつくる大徳寺納豆を、和三盆の落雁の衣で包んだものだ。落雁の上品な甘みと、大徳寺納豆の独特の渋みが見事に調和した名品で、茶菓子として永い間親しまれている。また、冬季のみ販売される酒饅頭の家傳「高砂饅頭」も、発酵させた酒の麹を絞り、皮に仕込んで一晩寝かせるなど、たいへんな手間がかかった一品。蒸したての風味は格別で、予約が殺到することもある人気の商品である。
京都の菓子司は、皇室や公家、茶道、寺院などとつながりを持ち、文化的な交流を通して発展してきた店が多い。本家玉壽軒の場合も例に漏れず、禅宗をはじめとする各宗派の本山御用達として、永く愛用され続けている。
看板菓子として長く愛される菓子を開発したい
当店は、創業時から、妙心寺さんや大徳寺さんといったお寺に出入りさせていただいており、商いとしてはたいへん恵まれていると思います。伝え聞くところによると、「玉壽軒」という屋号も、妙心寺の初代管長様に名付けていただいたとうかがっております。もちろん、それだけご信頼をいただいているわけですから、決してこれを裏切らないよう、本当に美味しい茶菓子をつくることに心血を注いでまいりました。
菓子の製法等について、基本的には、歴代の当主が築き上げてきたことを踏襲しております。昔のままの味が維持できる範囲で、一部機械化した部分もありますが、手づくりでなければならない工程に関しては、まったく昔の通り行なっています。
また、当店には、「一代で新製品を一品つくれ」という家傳があり、私も現在開発に取り組んでいます。多種多様な菓子が出回るようになった現代において、看板菓子として永くお客様にご愛用していただけるような新製品を生み出すのは、非常に困難であると感じています。しかし、いずれは当店の歴史に残る菓子を創りあげたいと思います。
西陣で商い続けてきた店として、西陣の街にビルが増え、風情のあった街並みが年々変化していくことについては憂慮しております。当店も、以前はビルに建て替える計画が持ち上がったことがありましたが、やはり、一つの文化遺産として残さねばならないと思い、なんとか維持してまいりました。なんらかの形で、京の風情を残していける方法が見つかるよう、願ってやみません。
店舗情報
創業 | 慶応元年(1865年) |
---|---|
商号 | 株式会社本家玉壽軒 |
所在地 | 京都市上京区今出川通大宮東入ル |
電話 | 075-441-0319 |
FAX | 075-451-3274 |
営業時間 | 午前8時半~午後5時半 |
定休日 | 日曜日、水曜日 |
予約 | 高砂饅頭のみ要予約 |